2014年04月05日
闘う理由(わけ)
世間的に見て優良な存在があるとしよう。
それはどこのどいつが見ても大抵
『ほう』とか、こいつは信頼できる。ってリアクションをする。
ただ…これらの"負"の部分に少しでも関わったり、中身を覗いて見たモノならば違うリアクションをする。
わたくしは"中のヒト"になってムキになって、放っちゃ気になって、突っ走って、スッ転んで…
とにかく、手を変え、品を変え。ありとあらゆる自分の持てるチカラを使い"曲がった巨木"の向きを変えたかった。
ニンゲンを42年もやってりゃそこが変か変じゃ無いかなんて3日で分かる。
だから、オカシイ事をオカシく無いようにしてやりたかった。
『いちゃりばちょうでぇ』
大好きな言霊だ。
毒団子を喰わんとしているヤツを止める。転んでいるお年寄りを起こしてやる。
ガキの頃からお仕込み事じゃ無く、自然にできるように叩き込まれた"お節介"
わたくしの数少ない特技であり自慢。
しかし…燃料切れだ。
もう疲れた。巨木を毎日押し続けて、何年で真っ直ぐになる?
何十年?何百年?わたくしの後がつづく?やがて実を結ぶ?
待つのもいいが、もたないだろう。
わたくしは、この3ヶ月で8kg痩せた。人のために尽くすのはよいが、わたくしが消滅してしまう。
4ヶ月と5日で出した答えは
…そんなとこだ。
ただひとつだけ嬉しかったのは
とある人物が
『てめぇはドン・キホーテか!いもしねぇ敵と闘ってバカじゃねぇのか!!』
って怒ってくれたことだ。
これはわたくしだけ解ればいいんだ。
わたくしには沢山、敵が見えたんだ。
さて、サクラチルを楽しむとしよう。
それはどこのどいつが見ても大抵
『ほう』とか、こいつは信頼できる。ってリアクションをする。
ただ…これらの"負"の部分に少しでも関わったり、中身を覗いて見たモノならば違うリアクションをする。
わたくしは"中のヒト"になってムキになって、放っちゃ気になって、突っ走って、スッ転んで…
とにかく、手を変え、品を変え。ありとあらゆる自分の持てるチカラを使い"曲がった巨木"の向きを変えたかった。
ニンゲンを42年もやってりゃそこが変か変じゃ無いかなんて3日で分かる。
だから、オカシイ事をオカシく無いようにしてやりたかった。
『いちゃりばちょうでぇ』
大好きな言霊だ。
毒団子を喰わんとしているヤツを止める。転んでいるお年寄りを起こしてやる。
ガキの頃からお仕込み事じゃ無く、自然にできるように叩き込まれた"お節介"
わたくしの数少ない特技であり自慢。
しかし…燃料切れだ。
もう疲れた。巨木を毎日押し続けて、何年で真っ直ぐになる?
何十年?何百年?わたくしの後がつづく?やがて実を結ぶ?
待つのもいいが、もたないだろう。
わたくしは、この3ヶ月で8kg痩せた。人のために尽くすのはよいが、わたくしが消滅してしまう。
4ヶ月と5日で出した答えは
…そんなとこだ。
ただひとつだけ嬉しかったのは
とある人物が
『てめぇはドン・キホーテか!いもしねぇ敵と闘ってバカじゃねぇのか!!』
って怒ってくれたことだ。
これはわたくしだけ解ればいいんだ。
わたくしには沢山、敵が見えたんだ。
さて、サクラチルを楽しむとしよう。
2014年04月05日
ポディウム
お立ち台である。
ある程度の年齢を重ねれば一度や二度くらい拝んだ事もあるだろう。
一等賞は真ん中に聳え、二番、三番が両脇を固める。
わたくしは学生の頃、陸上をやっていた。聳え立つお立ち台は遥か遠く、羨望はいつしか諦めになっていた。
その頃から二輪のレースにのめり込み、"お立ち台"は常に眺めるモノとして20年を越えた。
わたくしにとって"お立ち台"は特別な存在なだけでなく、いつしか「ある種の指標」になっていた。
三番までは一流
あの台に上がる事の大変さを目の当たりにして以来、わたくしの根底に存在する尊敬と畏怖である。
全てに当てはまるワケでは無いがおおよそ外れてもいまい。
所謂、業界一位から三位までの凄さは四位から下と桁が違ってくる。
三位までの、その神々しいまでの努力たるや、四位の中身の無い真似事でしか無いその醜態とも言える粗雑さなど微塵も感じさせない。
ストライクを取りに行くのとストライクを得れるのは行って帰るほど違う。
あまつさえ、四位はその事すら気付かず、張りぼての醜態を享受し続ける。
わたくしは一流でも無ければ無駄な銭を張りぼてに掛ける程、裕福でも無い。
ただ、少なくとも、上位近付きたいが為に、篭る為の"殼"を着飾る趣味は無いと言う事だ。
わたくしを取り巻く環境にすっかり嫌気がさしたワケだが
まだまだ聳え立つ頂きを諦めたワケでは無い。
意味が解らんてぇ?
そのうち、分かるよ。
ある程度の年齢を重ねれば一度や二度くらい拝んだ事もあるだろう。
一等賞は真ん中に聳え、二番、三番が両脇を固める。
わたくしは学生の頃、陸上をやっていた。聳え立つお立ち台は遥か遠く、羨望はいつしか諦めになっていた。
その頃から二輪のレースにのめり込み、"お立ち台"は常に眺めるモノとして20年を越えた。
わたくしにとって"お立ち台"は特別な存在なだけでなく、いつしか「ある種の指標」になっていた。
三番までは一流
あの台に上がる事の大変さを目の当たりにして以来、わたくしの根底に存在する尊敬と畏怖である。
全てに当てはまるワケでは無いがおおよそ外れてもいまい。
所謂、業界一位から三位までの凄さは四位から下と桁が違ってくる。
三位までの、その神々しいまでの努力たるや、四位の中身の無い真似事でしか無いその醜態とも言える粗雑さなど微塵も感じさせない。
ストライクを取りに行くのとストライクを得れるのは行って帰るほど違う。
あまつさえ、四位はその事すら気付かず、張りぼての醜態を享受し続ける。
わたくしは一流でも無ければ無駄な銭を張りぼてに掛ける程、裕福でも無い。
ただ、少なくとも、上位近付きたいが為に、篭る為の"殼"を着飾る趣味は無いと言う事だ。
わたくしを取り巻く環境にすっかり嫌気がさしたワケだが
まだまだ聳え立つ頂きを諦めたワケでは無い。
意味が解らんてぇ?
そのうち、分かるよ。